2019年度 さ~くる年間テーマ『Vitality』
2019年度さ~くる年間テーマ
“Vitality”
本当にうれしく「感謝」なことに、昨年度は、また新たに多くの人たちと出逢い、つながることができました。そんな“Hope”を感じた上で次のActionにつなげていく今年度のテーマは“Vitality”です。
“Vitality”は、「生命力・成長力・生命・活気・元気」などの意味があり、ラテン語で「命」を表す言葉が語源となっています。身体的にも精神的にも元気よく、“希望に向かって進む力”です。
英語圏では人に対して「バイタリティがある」と言うことは、最大級の誉め言葉となります。なぜなら、能力などを褒められること以上に、「活気に満ちた姿」を第三者が認めてくれて適切に評価してもらえることは、とても誇らしいことだからです。
また、活力や元気があれば、ものごとに長時間取り組むことができるという解釈から、「持久力・持続力・継続する力」という意味で使われることもあります。
以上のように“Vitality”は様々なActionの源と言えますし、どんなに素晴らしい考えや想いがあっても、バイタリティがないとそれを「カタチ」にすることや継続することはできません。
しかし年間テーマとして共有していきたいのは、「みんなが“見るからに”情熱溢れる元気いっぱいの人になる」ということでも、「それぞれのキャラクターや性格を変えよう」ということでもありません。
「さ~くる」では年間を通してキャンプをしますが、キャンプでも私たちの日常生活でも「火」は欠かせません。火の温度は多くの人がまずイメージする橙(オレンジ)色は実は温度が低く、高くなればなるほど「橙→白→青→透明」と“色”が変化していきます。また「炭火」は燃えているかどうかわかりにくいときもありますが、高い“熱”を持っています。
「火」という字の中に「人」も入っていますが、同じように人もそれぞれの“色”があり、一見わからなくても奥深くに“熱”があるのだと思います。
キャンプで実感する人も多いように、「火の温度を上げる」ためには「空気(酸素)を供給する」必要があります。また、「空気」がないと、人に限らず動物・鳥・魚・虫などの生き物も生きていけません。
「空気」は、火が燃え続けて温度を上げていく上でもですし、私たちが生きるための「すべての力の元」です。
そして、「地球全体を包みこんでいる空気=大気」があるからこそ、太陽の光を反射して青空や夕焼けなど“いろいろな変化”が生まれます。だから、「空気がない宇宙」の空は、いつも真っ暗です。
今までもそういう想いでしたが、あらためて「さ~くる」でたいせつにしたいことは、それぞれが「自分の色」の“Vitality”を持ち、さまざまな状況で温度や熱量が変化することはあっても、情熱や希望の火が消えてしまわないために、「酸欠」にならないようにしていくことです。
「ファイナルキャンプ」の時にも話しましたが、以下のネイティブアメリカンの逸話があります。
【 一人のチェロキーの年寄りが、孫たちを集めて、人生について つぎのように教えた。
「よいかな、人間の心の中には、オオカミが二匹すみついている。その二匹のオオカミが、わしの中でも常に闘いを繰り広げている。
一匹は、悪いオオカミだ。それは、恐れであり、怒りであり、ねたみであり、嘆きであり、後悔であり、強欲であり、ごう慢であり、自己憐憫であり、あやまちであり、敵意であり、劣等感であり、嘘であり、うぬぼれであり、優越感であり、そしてエゴだ。
もう一匹の方はよいオオカミで、それは、よろこびであり、平和であり、愛であり、希望であり、分けあいであり、おだやかさであり、謙遜であり、優しさであり、思いやりであり、慈悲の心であり、友情であり、共感であり、寛大で広い心であり、真理であり、そして信頼だ。
わしの中でこの二匹のオオカミがたえず争いあっているように、おまえたちの中でも同じ闘いが起きているんだ。それはまた、すべての人たちの心の中でも起こっていることなんだぞ」
孫たちはしばし黙ったまま、その言葉の意味を考えていた。
やがて子どもの一人が曾祖父にたずねた。「で、どちらのオオカミが勝つのですか?」
老人がこたえた。「それは“おまえが餌を与えるオオカミ”の方さ」】
たき火をするときも「空気の通り道」がないと消えてしまうように、“悪いオオカミ”に餌を与える方に傾いてしまうときに、人の心や関係も道が詰まり「酸欠」になり、火が消えてしまいます。
それぞれ葛藤はありながらも“よいオオカミ”を育てあい、自分がいる場所で周囲にも自身にも自ら「空気」を送っていける-そのために必要な自他への信頼を感じられる、“大気”のような場・つながりを創っていきましょう☆
先日、昨冬拾っていたクヌギのドングリから“芽”が出ました。そのように今は外からは見えなくても、それぞれに「確かに在る生命力」と「芽が出るときがくる」ことを信じて-。
2019.04.02. 吉田伸吾(アボジ)