年間テーマ “Vision”
- 吉田伸吾(アボジ)
- 2016年4月9日
- 読了時間: 3分
2016 さ~くる活動テーマ “Vision”
たくさんの人の想いがつながって「さ~くる10周年」を迎えられた昨年度は、あらためて「変わらないために変わり続ける」ことのたいせつさを感じた年でした。そんな昨年度のテーマでもある「さ~くるの“Spirit”」をこれからにつなげ、「次の10年」に向けての歩みを始める今年度のテーマは、“Vision”です。
“Vision”は、ラテン語の「見る・見られること」が語源で、「将来像・理想像・未来像・夢・視野・洞察力・先見の明」などの意味があります。「さ~くる」が生まれたとき、というよりそもそも「さ~くる」が生まれる上で描き、いまも描き続けている“Vision”は、繰り返し言っているように、「それぞれが自他を受容・肯定しながらいきる“みんな”がHAPPYなセカイ」です。
そのために、「“現実”を想い・願いの“実現”に転換する」ことを目指してきました。10年たったいまも「それは理想」と言われた「目的地」に辿りついてはいませんが、ドイツの革命家であるカール・シュルツが「理想とは夜空の星のようなものであり、手に届くことはなくとも、荒海を行く船乗りにとっては道しるべであり、これを目標にして航海する。人生も、そのように常に理想を高く掲げて努力すれば、いつか目的地に到着するものである。」と言っているように、“航路”は「その時々の状況や船乗り」によって変わっても、“北極星(変わらない道標)”は見失わず進んでいきたいと思っています。
とはいえ「目の前の現実や悩み」は生きていたら人それぞれにあり、「そんなVisionを描いている余裕はない」と思うこともあるかもしれません。しかし、そもそも「さ~くる」の“Vision”は、先に述べたように「“みんな”-すなわちひとりひとりがしあわせであれるため」ですので、もしそう感じたとしても、ダメでも格好悪くもありません。このテーマでたいせつにしていきたいことは、①「ひとりひとりが真に“楽”であれるために “Vision”を持てること」②「他者からの“Vision(見られる・評価)”に縛られない・左右されないこと」です。
もちろん、生きていれば また生きること自体が、努力をしないでいいわけではありませんし、他の人がどう思おうと、構わずに好きに振る舞えばいい、というわけではありません。そうではなく、①は例えば「先が見えない暗闇」の中を歩くのはとても「不自由」で疲れも不安もありますが、“灯り”を持てれば 他の人の足元を照らしながら、自分の目の前も見えて 動けるようになる ということです。そして②は①と相反するものではなくつながっていて、「人の目」ではなく「人の心」を感じながら、他の人も自分自身もたいせつにする中で、①のように自他ともに照らすことができるということです。
ひとりひとりが、目には見えない「未来」や「他者からの評価」などの“自分の心が生み出す心配ごと”から自由になり、自分が進む道を“選択”できるようであれたら と願っています。
そんなテーマへの想いに通ずるネイティブアメリカンの思想や詞がいくつかありますので、昨年に続き以下に紹介します。
「心配ごとはすべて未来にあるのだから あなたがなすべきは、現在に立ち戻ること。あなたが未来にいることに気づいたら、心配ごとのスイッチを切って“今”に生きなさい。」
「昨日のことで 今日を消耗させてはならない。」
「自分らしく生きる勇気を見つけること。人真似でもなく、願望でもなく。ほかでもないあなた自身と して。あなたと同じ人間は、他にはいないのだから。」
「毛虫は、“空を飛べたらなぁ”とは言わない。やがて変身して空を飛ぶ。石は“やわらかくなれたらなぁとは言わない。やがて崩れてやわらかくなる。あなたも飛べる。あなたも、やがて崩れてやわらかくなる。力は あなたの中にある。」
「時計ではなく、自分が刻むリズムで暮らす。」
「素晴らしい夢を見て それを行動に移せ。」
「不思議な力とヴィジョンは つねに“準備のできた人間”を捜し求めている。」
それぞれの「信と真」が、ひとりひとり―やがては“みんな”が、HAPPYにつながる“準備”となると思います。“自他の中にある力”と“やがて”を信じて、“いま”を生きる一年にしましょう☆
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